ぽた子日記 | 目次のページを作りました。過去の日記があります。 ホーム |
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12月18日 水曜日 ■読み終わった本:スウィフト「ガリバー旅行記」 「ロビンソン・クルーソー」は図書館で借りた集英社の世界名作全集6で読みました。同じ本にガリバー旅行記も入っていたので,ついでに読んでみました。 これも子供の頃にダイジェスト版を読んだ記憶しかなかったので,改めて読んでみると意外な発見がたくさん。 まず,ガリバー旅行記は4部作です。知ってました? ガリバーが行くのは, 1.こびとの国 2.巨人の国(野球じゃないよ) 3.浮島に支配層が住んでいる国 4.馬が支配する国 1のこびとの国は有名ですね。小さい頃に読んだのはこの話。 2の巨人の国もちょっと有名かな。 こびとは人間の1/12の大きさで,巨人は12倍の大きさです。ヨーロッパでは12が一つの単位なんだなぁ。 3は地上から浮いている島に支配層が住んでいる国。浮島は磁石方式で動きます。科学的な国なのです。 作者のスウィフトはニュートンと仲が悪くて,この科学の国はニュートンへのあてこすりがいっぱいらしいです。 浮島の名前はラピュタ。有名な日本のアニメ映画の名前はここからきてるんですね。 ガリバーはラピュタからイギリスに帰るとき,日本に立ち寄ってます。 エドに行って「踏み絵をしなくても良い許可」を幕府からもらって,ナガンサキから出航します。 踏み絵って,17世紀のイギリス人も知っていたのね・・・。 4は馬が知性を持ち,人間は野蛮で馬に支配されている国です。 人間はヤフー(yahoo)族と呼ばれてます。そう,あの有名検索サイトの名前はここからきてるんですね。 辞書を引くと「ならず者」「粗暴な人間」という意味が出てきます。 馬の支配する国は争いも憎しみも無くて(そのかわり個人的な愛情や感情も薄い),ガリバーはすっかり気に入ります。 イギリスに戻った後は,馬の国を理想とするあまり人間と交わるのを避けるようになったところで話は終わります。 単純に物語としても楽しめますが,この物語の本質は風刺です。 本には注釈がたくさん付いてますが,ぽた子は残念ながら理解できなかったところも多かったです。 本当に楽しむには教養が問われますね。。。 |
12月02日 月曜日 ■読み終わった本:デフォー「ロビンソン クルーソー」 ぽた子「バイクフライデーって,なんでフライデーって言うのかなぁ。」 ぽた郎「ロビンソンクルーソーに出てくるしもべの名前じゃなかったっけ?クルーソーっていう自転車もあるよね。」 子「へー。ロビンソンクルーソーってどんな話だったかな?」 郎「無人島に行くんだったっけ?・・・忘れた。」 子供の頃,要約された子供向け本を読んだことがあるような気がするけれど・・・。 確か,「乗っていた船が難破して無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが,いろんな工夫を重ねつつ生き抜いていく」という,冒険ものだったような。 自転車の名前になっているぐらいなので, 自転車乗りとしては改めて読んでおいても損(?)はないかもしれない。 ということで,読んでみた。もう大人になっているので,手に取ったのは大人向けの本。 驚いた。この物語の本質は冒険ではなくて, 「神への信仰を取り戻す物語」だった。 クルーソーは荒くれ者の船乗りで,神の存在なんて思い出すこともないような人間。 それが,乗っていた船が難破して無人島に流されてしまい,工夫を重ねて孤独に暮らしつつ,たまたま船から救い出した聖書を読むことで,神の存在に辿り着く。 ただ,その神への感謝が,あまりにもご都合主義。 あまりにも簡単に,単純に,神の存在を感じて悟ってしまう。 自分だけが救いだされた→神に感謝,食料が得られた→神に感謝,神に感謝できる人間になった→神に感謝, この本の三分の一ぐらいはえんえん神への感謝で埋まっている。 なんだか読んでいて,「信仰は大事ですよ,神を信じましょう」と説教されている気分になってきた。 デフォーはたぶん,宗派間の争いを繰り返す教会を皮肉ったのかもしれない。 無人島にいることで,クルーソーは宗派に捕らわれない,本当の神を求めることに成功したのだから。 もともと大人向けの本だし,ある程度説教臭いのはしょうがないのだろう。 もう一つ驚いたのが,デフォーの現地人への差別意識。 フライデー(人食い人種に食べられそうになっている奴隷で,クルーソーが助けた日が金曜日だったのでフライデーと名付けられた)は「野蛮」だけれど「現地人にしては頭が良さそうでヨーロッパ人に似ていなくもない」。 クルーソーは,現地人は何の思想も持たずただ無作為に生きているだけで「かわいそう」に思い,フライデーに英語を教え,神を信じることを教える。 そしてフライデーが殺されかけている父親を救い喜んでいるのを見て,「野蛮人にもこのよな親子の感情がある」ことに感動したりなんかする。 最後に,フライデーは自分たちがあまりにも教養が無いことに気がつき,クルーソーに仲間の教育を頼むのだ。 なんというヨーロッパ至上主義! 現在の感覚では呆れ返ってしまうけれど,この物語が書かれた17世紀当時は当然の発想だったのだろう。 「それぞれの文化にそれぞれの価値があり,比較できるものではない」みたいな考え方はここ数十年のことだから。 単純に冒険ものとして読んでもかなりおもしろい。 しかし,一見冒険もの,実は宗教的成長物語のロビンソンクルーソー,意外に奥が深いのでありました。 |
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